テフン:正直、記憶がはっきりしないのですが(笑)。約10年前ですよね。2001年、2002年・・・。この時期に、日本でライヴ、やりましたよ。
テフン:まずは、その環境に感謝しなくてはなりませんよね。韓国のアイドル達が日本で受け入れられていることに感謝しなくては・・・。どうしてここまで受け入れられるようになったのか、僕も知りたいぐらいなんです。日本をはじめ、今世界各国で、こうして韓国のアイドル音楽、つまりK-POPが受け入れられているわけですから、それ以外の韓国の音楽に対する期待も高まっていることを、自分でも感じます。そして、良い音楽を届ける機会が、アイドル達の活躍同様に、これから出てくるかどうか、興味深いですね。
テフン:日本に進出したからといって、音楽性が大きく変わったとか、日本語で歌わなくてはならなかったとか、そういったものは一切なかったので、韓国での活動と、何ら大きな変化があったわけではありませんでした。ただ、僕らが進出した10年前、韓国と日本を比較した時、特にロックシーン、バンドシーンは、日本の方が遙かに発展していました。バンドマン達が活躍する環境も非常に整っていましたし。ですから、そういった部分に関しては、日本から学んだことは本当にたくさんありましたね。それから、自分たちの音楽を、大きく変えることなく“そのまま”で受け入れて、そして、プロモーションしてくださった、当時の日本のレコード会社関係者の方には、今も心から感謝しています。
テフン:今でこそ、韓国も様々な音楽が受け入れられるようになりました。音楽の多様化が進んでいます。アイドルといっても、いろんな音楽を奏でていますよね。でも、10年前までは、“アイドル以外は音楽じゃない”という環境でした。
テフン:そう。10組出演したとしたら、ま、多くて1組でしょう。その中でバンドが出演できるとしたら。そして、2組ぐらいが・・・ソロの歌手。それ以外はアイドルという感じでした。でも仕方ないと思うんですよね。10年前と言えば、音楽の聴き方がCDからMP3へと変化していく時期でした。バンドやソロの歌手、シンガーソングライター達は、CDアルバムという自らの“作品”を発表するという形式で活動していましたが、アイドル達は、デジタルシングルという形で矢継ぎ早に作品を発表し、飽きさせないようにしていましたから、より簡単なプロモーションスタイルと選択しようとした結果、音楽市場がデジタルに傾いていき、結果アイドルの時代が到来。バンドや歌手達が自分たちの世界にこだわった結果、市場の動きをキャッチアップ出来なかったことも、アイドル時代の到来の背景にあると思うんです。
テフン:そもそもホンデには、ミュージシャン、画家、アーティスト、言論家など、こういった文化活動する人々がたくさんいたんですね。こういった人たちが、自分達の遊び場として、クラブやカフェ、美味しい食べ物が食べられるお店、ちょっと変わったカルチャー体験の出来る場所など、新しい文化を生み出してきました。ですから、若者達の間で、ホンデは他の地域と違って、珍しくて面白いものがあるという認識につながっていったんです。ですから、こういった遊び場の1つとしてその人気が定着していた“クラブ文化”が特に発展していきました。残念ながら、バンドの演奏を聴きたくて多くの人がホンデに向かったのではなく、ダンスクラブで踊りたかったんですね。で、想像できると思いますが、こうして流行の発信地、新しい文化の発信地として注目されれば、当然多くの人が訪れるようになって・・・そう、土地の値段が上がります(笑)。結局、この街は、ビジネスとして、商売する街へと変貌しようとしています。ホンデに来る人々の目的が、文化を楽しむというものから、消費するために訪れるという感じで変わっていっているように感じます。その結果、アーティスト達は、今ホンデをどんどん離れて行っている状況なんです。文來洞(ムンレドン)とか合井(ハプチョン)のような、静かな場所に向かっているようです。
テフン:韓国にも良いアーティスト、良いバンドがたくさんいるんだから、そういったアーティストとちょっと面白いことをしてみたい・・・という動機から、ライブハウスという1つの形態を思いついて作ったんです。そして、そんなアーティスト達をサポートするスタッフを育てたい!という想いがあったんです。ですから、このSOUNDHOLICという会社は、最初はスタッフを、そして次にライヴクラブを、そしてライヴ企画、さらにインディーレーベルとしてその歴史を歩んでいます。現在レーベルとしていろんなジャンルのインディーアーティストを11組、抱えています。
テフン:はい、そうです。
テフン:僕がメンバーにやろうって言ったんですよ(笑)。最初この番組は、競争を煽るような番組だと思ったんですね。でも、実際に話を訊いたりしてみると、バラエティ番組だったんです。当然音楽番組でもないわけで・・・。つまり、バラエティ番組のゲームコーナーのような感じと言えばいいでしょうか。そういった事を自分たちも理解して、そして、他の出演者の皆さんも、素晴らしい才能の持ち主ですし、こういった環境の中で自分たちもその雰囲気を楽しめるということで、出演を決めたんです。
テフン:僕らはそもそも好奇心が旺盛なんですね。やってみたいことがたくさんあります。ですから、この番組への参加は、本当に面白かったですし、良い経験になりましたね。
テフン:紫雨林そのものに何か変化があったわけではありません。でも、外的な変化は大きかったですね。僕らを知る人、僕らに興味を持ってくれる人が当然増えました。僕らは、これまでと何ら変わらない音楽をやってみただけなんですが、やっぱり僕らのことを知らなかったんですよ、多くの人が。かつては紫雨林=キム・ユナ(ヴォーカル)というイメージが定着していたようで、この番組をきっかけにバンドであることを認識してもらえたようです。そして、真剣に音楽をやっているバンドであるということを知ってもらえたということは、僕らにとって何よりも大きな財産になりました。10代の子供たちが、紫雨林のことを好きと言ってくれるようになって・・・うれしいですね(笑)。ですから、これからの自分たちに対する“勇気”を与えてくれた番組と言えばいいですかねぇ。
テフン:は~い(笑)。
テフン:そうでしょ? どの曲が気に入りましたか? 「アイドル」?
テフン:いいでしょ?「EV1」。
テフン:この曲はいい曲です(笑)。
テフン:呼んでくれるなら、すぐ行きますよ。古家さん、呼んでくれるでしょ? 日本では、たくさんの良い記憶がありますから、そんな日本でライヴ、行きたいですね。
テフン:まだやってるの?すごいねぇ。じゃ、次の日本でのライヴは、 古家さんのその番組の記念ライヴかな。ユナのまだまだ日本語イケますよ!
テフン:・・・高いですよ(笑)。
テフン:古家さんなら、用意できるでしょ(笑)。
※「EV1」アメリカのGMがかつて作った世界初の電気自動車。世界に先駆けて作ったものの、あらゆる力関係からコモディティ化されなかった幻の自動車。まさに先を読んでいた自動車と言えるが、結局人間の自己欲によってこういった可能性も否定されることをキム・ユナはこの曲で歌い上げている。
※「Beats-Of-Korea」札幌のFMノースウェーブで2001年から毎週土曜日22時から放送している日本初のK-POP専門番組。現在もOA中。この番組の2002年に行われた公開収録に紫雨林が出演。