ジョン:まず、自分にとってこれまででいちばん大きなステージでした。約1万5千名の方が会場にいらっしゃったようですね。ですからものすごく緊張しましたが、会場の皆さんがとても温かく僕のステージを見守って、そして応援してくださったので、そんな緊張も忘れさせてくれた・・・そんなステージでした。
ジョン:はい。凄く楽しい時間を過ごさせてもらっています。日本でお会いした方、皆さんとてもやさしくて、いろいろと美味しいモノも食べさせてくれて(笑)。もともと日本食は好きなんですね。寿司、パン、ラーメン・・・本物も食べることが出来ました(笑)。これまでも日本に行ってみたいという気持ちはあったんですが、なかなかチャンスに恵まれず・・・。でも今回短い時間ではありますが、日本に来て、日本のステージに立てて本当に良かったです。分け隔てなく、全ての出演アーティストに最大限の声援をおくる日本のオーディエンスの素晴らしさ。あ、これが日本の公演文化を支えているものなのだと実感できました。正直、はじめて日本に来てステージに立つことは不安で仕方なかったんですね。でも、日本のオーディエンスの皆さんから、ものすごい勇気をいただくことができて、本当に良かったです。
ジョン:長い時間をかけて制作した作品だったので、作品を手にした時、特別な感じはそれほどなかったんです。確かに自分にとって初めてのアルバムでしたが、でもこの作品は自分にとって、カムバック的な感覚の作品・・・とでもいえばいいでしょうか。またもう一度、多くの人々の前に出て歌うんだという、そのきっかけのような・・・そんな作品という感じがしましたね。
ジョン:最初はありましたね。でも時間が経てば経つほどそういった思いはなくなっていきました。確かに歌手というきっかけを作ってくれたのは『スーパースターK』という番組であることは間違いありません。でも、歌手ジョン・パクを作るのは結局自分自身ですから、音楽制作を、1つ1つ時間をかけて行っていくことで、そういった焦りはむしろいい作品を作る自信につながっていきました。
ジョン:僕はジャズよりもむしろソウルやR&B、それからアコースティックな響きを大切にした曲に関心を持っています。でも、今回アルバム制作を通じて自分の中で大きく変わったところがあるんじゃないかと思うんです。音楽を見つめる視野が広がったというか。ジャンルを定めて何かを作るというよりも、音楽のジャンルを取り払って、取り込めるモノは取り込んでいこうという気持ちになりました。「I`m Your Man」は1つのその形といえるかも知れません。
ジョン:やはり、キム・ドンリュル先輩が書いた曲を歌うというのは、相当なプレッシャーでした。キム・ドンリュル先輩の世界観がすでにでき上がっている中で、自分が先輩の曲を歌うことは、ただキム・ドンリュルというアーティストの曲を、カラオケで歌うことと同じになるのではないかと・・・。でもその辺りは、キム・ドンリュル先輩とじっくり音楽制作を進めていく中で、どうすればジョン・パクの世界にできるかということはアドバイスしていただきましたし、自分なりにそうならないようにかなり気を遣ったつもりです。だからといってタイトル曲に「Falling」を選んだというわけではありません。ジョン・パクの音楽ということを印象づけるために、まだ韓国ではそれほどメジャーではないスタイルの音楽を自分のスタイルで届けたいという思いがあったからです。Andy Plattsの曲は、そんなことを考えていた時に出会いました。直接連絡もさせていただいて、コミュニケーションもとって、どんな世界観で歌を作っていけばいいか、自分で歌詞も書き、プロデュースもさせていただきました。結果、まだまだ不足なところもあると思いますが、ジョン・パクのモダンポップの世界を作り上げることができたと思います。
ジョン:まずは何といっても歌手という夢を実現できたということです。オーディションというのは、短期間でその夢を叶えるチャンスといえます。もちろんそれまでの努力も必要となるわけですが、運もそれ以上に必要になってきます。ですから、自分がそのチャンスを掴んだ、そして自分がこうして芸能界、音楽界に飛び込むことができたということ、それに関して凄く感謝しています。
ジョン:中学生の頃から歌に興味を持ち始めて、本格的に歌手ということを意識したのは、高校の最終学年でしょうか。大学でオペラ・クラシックを学びたいと思い、その頃から歌の世界で生きていきたいという思いはありましたね。
ジョン:子供の頃は、マイケル・ジャクソン、Boyz Ⅱ Men。高校生の頃は、ジェイソン・ムラーズやジョン・レジェンドに憧れました。特にシンガーソングライターに憧れましたね。音楽は、ジャンルにとらわれず、いろんなものを聴いていました。
ジョン:去年から作詞・作曲の方ははじめています。デビュー作には収録されていませんが、次の作品には自分の曲が多く収録されると思います。
ジョン:とても悩みました。でも、自分はもっと“音楽”について学びたいという気持ちがあったので、偉大な先輩達が所属する[MUSIC FARM]という選択肢に、自分が求めているもの全てあると感じたんです。そして自分に対して“責任感”というものを与えてくれる・・・と感じたんですね。そして互いを“信じる”という大切なことを気づかせてくれました。とにかくいろんなことを学ばせてくれると確信して、[MUSIC FARM]でお世話になることにしました。
ジョン:どこに行ってもこの質問はされます。アメリカに長くいたのでアメリカでの活動は考えているか? とか日本で活動しないのか? とか・・・。でも僕は正直そこまで考えられないんですね。まだ韓国で自分の音楽を知ってもらうためにすべきことがたくさんありますし。まずは韓国の皆さんと自分の音楽でしっかりつながることが大切だと思っています。それができた段階で、たぶん、次は・・・という新しい欲につながっていくと思うんです。でも僕は音楽にとって大切なことは“歌詞”ではないかと思っているんですね。ですから、言葉の問題で、自分の思いをしっかり伝えられなければ自分の音楽に込められた想いを全て伝えられないような気がします。音・メロディーであれば共感できると思うのですが。ですから、日本で活動するということであれば、自分がこれから言葉の面で相当な努力が必要だと思っています。自分の歌に責任を持ってそれを伝えられる・・・その準備がまずは必要ではないか・・・そう思っています。
※1 ASAYAN
95年から02年までテレビ東京で毎週日曜日放送されたリアリティ番組。実は『アメリカン・アイドル』のベースになったという噂もあるオーディション番組で、「夢のオーディションバラエティー」をキャッチプレーズに、小室哲哉やつんく♂、河村隆一などのプロデュースによって、鈴木亜美やモーニング娘。、CHEMISTRYなど数多くのアーティストやタレントを輩出した。また現在少女時代のメンバーとして活躍しているスヨンは、この番組の「日韓ウルトラアイドルデュオ」オーディションで合格し、route0(ルート・ヨン)という名のデュオで、日本先行でデビューし活躍していたことは、よく知られている。
※2 ホ・ガク
『スーパースターK2』の優勝者。A CUBEからデビュー。換気扇の修理工だった彼だったが、歌の実力一つだけで1,340,000分の1という途方もない競争率を勝ち抜き、人生を大逆転させたそのサクセスストーリーは「コリアン・ドリーム」の象徴の1つ。彼の活躍以降、韓国ではオーディション番組が急増した。双子の兄、ホ・ゴンもオーディション番組に出演し話題に。
※3 ハリー・コニックJr.
アメリカ・ニューオーリンズ出身のアメリカを代表するジャズシンガーであり、ピアニスト、そして俳優でもある。日本でも大ヒットした映画『恋人たちの予感』の音楽を手がけ、グラミー賞を受賞し日本でも話題に。一方、そのイケメンぷりが話題となり、俳優としても活躍。これまで『メンフィス・ベル』や『インデペンデンス・デイ』といったハリウッドの大作に出演している。
※4 Andy Platts(アンディ・プラッツ)
“ジャミロクワイmeetsマルーン5!”と言われ、イギリスで大人気のバンドMAMAS GUN。日本のラジオ局でもJ-WAVE中心にヘビーローテーションされ注目されたが、Andy Plattsは、そのMAMAS GUNの中心的人物。シンガーソングライター、デザイナー、マルチインストゥルメンタルを担当する彼を中心としたプロジェクトバンドがMAMAS GUNといっていいだろう。アンディは香港生まれ。フィリピン人の母と英国人の父を持つ。そんな彼がジョン・パクのアルバムに「Falling」という楽曲を提供。日本でもMAMAS GUNファンの間で話題となった。