KAI:ありがとうございます。日本の方はもともと音楽を愛している方が非常に多いと聞いていましたから、心配も少しはありますが、そういった皆さんの住む日本という国で活動出来ることを、とても嬉しく思っていますし、楽しみです。実は、日本と韓国を往来しながら活動すること、コンサートをすることが、夢だったので、自分が奏でるポッペラを今回、このような形で、日本の方に紹介できるようになったこと、凄く感謝しています。
KAI:母が音楽教師だったので、自然と日常でクラシック音楽に触れてきたんですね。他の友達とは違った音楽環境に育ったので、クラシックっていいなぁという感情がいつの間にか芽生え、自然とその道に進んでいくべきだという想いが生まれました。小学生の頃からKBS(韓国の公営放送。日本のNHKにあたる)の子供合唱団に入っていたのですが、中学生になると、母がこういったんですね。「音楽の世界は、本人が自分自身で選択すべき世界である・・・」と。つまり母親が「やりなさい」と言ってやる世界ではない・・・と。そんな母の言葉を受けて、中学生になって、音楽そのものから少し遠ざかっていたんです。でも中学校3年生になって、自分の周りに音楽がないことがちょっとつまらないと感じるようになって、母に相談したんですね。やっぱり自分は音楽をやりたいんだ・・・と。そうしたら「あなたが自分で選んだのだから、私は最大限の協力をしてあげる」と言ってくれたんです。そして、ソウル芸術高校という、クラシック音楽を専門的に学べるコースのある高校に進むことにしたんです。
KAI:芸術高校出身なのですが、クラシックを学んでいると、確かに素晴らしい音楽なんですが、少し窮屈な感じがしたんですね。何百年という歴史を経て、モーツァルト、ベートーベンといった作曲家が生み出してきたこの音楽を、そのまま表現するのではなく、自分だけのスタイルで表現できないかと考えるようになったんです。先に挙げた作曲家たちだって、当時、彼らの音楽は流行曲だったわけですよね? ですから、今自分のスタイルでこういったクラシック音楽を表現してもいいのではないか・・・と考えるようになった訳です。そういった状況の中で、様々な人々から影響を受け、支援を受けて、ポッペラという1つの音楽スタイルに出会うことができ、これで勝負しようと決めたんです。
KAI:実際、ご存じの通り、オペラ歌手のみなさんは、体格がいいですよね? 僕もかつて100キロ以上の体重だったんです。
KAI:はい。みなさん驚かれるのですが、23歳ぐらいまででしたね。100キロ以上あったのは。本当に太っていたんです。でも当時は無条件で、声楽家、オペラ歌手は、これぐらいの体型の方がいいという先入観が自分自身の中にあったんですね。で、ある日、鏡を見たんですが、自分が全然魅力的に見えなかったんです。これでは、舞台に立つ時は勿論、普段から自分自身が魅力的とは思えないだろうということを悟ったんです。それからというもの、運動に明け暮れました。結局35キロやせました。約8ヶ月で。
KAI:運動だけですね。ジムに通って、2時間走って、どこに行くのも走る準備をしていって、とにかく運動しましたね。
KAI:韓流という流行があり、そういった中で、多くの歌手、アイドル達が、そして俳優達が、日本に進出して成功を収めていますよね。でも、僕は、そんな先輩方とは違います。クラシックという最初は取っつきにくい音楽と、ポップスの融合を目指した、KAIだけの色を持ったポッペラ音楽を奏でていきたいと思っていますし、ジャンルを超え、そして、日本・韓国という国の壁を越えて1つになれる芸術として、KAI色の美しい音楽を日本のファンの皆さんと共感し、感じていきたいです。日本の皆さんに今回お会いできるチャンスを得ることが出来、緊張していますが、嬉しいです。クラシック+ポップス=ポッペラという風に区分されるのではなく、KAIという音楽を奏でる音楽家として、日本のみなさんとこれから頻繁にお会いできると嬉しいです。どうかこれからも僕のことを、そして僕の音楽を愛してください!
努力の人という印象を受けた。決して平坦な道ではなく、韓国での音楽活動は苦労の連続だったよう。しかし、韓国を代表する世界的クロスオーバー歌手、チョ・スミと出会い、ツアーに帯同したり、もともと大学でクラシックを専攻した、韓国を代表する音楽プロデューサーのキム・ヒョンソクとの出会いが、彼に大きな力を与えたよう。そんな彼が満を持して日本での活動を本格化させる今、こういった音楽の世界でも韓流の力が吹き荒れることになるか・・・というよりは、クラシカル・クロスオーバーの勢いを再びここ日本で取り戻すことができるかという重要な使命を持っていると言えるだろう。まずは、何の先入観も持たずに彼の音楽を聴いてほしい。