●TRIPLANEはどのようにして結成されたのですか?
江畑:僕、和也(武田)、タン(広田)は幼なじみです。高校一年生の時、タンに誘われて、3人でMr.Childrenのコンサートに行ったんですね。その時、コンサートそのものよりも、仲がいい友達同士で何かをやっている感覚みたいなものが、自分たちとリンクしてすごく感動したんです。彼らがステージでパフォーマンスしているのを、僕らはぼんやり眺めながら“あんなふうになりたいね”と。口約束でしたが、3人の中では“あの時ああ言ったよね”みたいなのが残っていました。
●一緒にバンドを組むことになったきっかけは?
江畑:高校卒業後、和也は自衛隊に入り、タンはドラムを初めて大学でバンドをやり、僕は浪人。一緒になることはありえないと思いました。ひとりでも音楽をやると決めていたけれど、浪人生の身分ではいけないと感じて……でも、三浪か四浪かの時にしびれが切れまして。連絡したんですよ、“今どないなっとんねん”と。
武田:(笑)。なんで関西弁?
広田:そろそろやろうと思ってたんだ、だからやろうぜ!って話をしました。和也は自衛隊員になっていたからバンドは無理だと思って、兵衛(江畑)とふたりで。ドラムとギターだからベースを募集しました。一人の応募者と会ったのですが、空気が独特でありえなかった(笑)。
江畑:その日、遊ぶ約束をしていた和也に会い、そんな話をしたら“オレがやる”と言い出したんです。その足で楽器屋へ行き、キャッシュでポーンとベースを買っていました(笑)。それから始めてみたものの、タンは他のバンドをやっていたし、和也は自衛隊でど素人ベーシスト……本気でやる気を感じなかったんですよ。そんな時「白い花」ができた。すぐにふたりを呼び出し、車の中で弾き語りをして聴かせたんです。そしたら態度が変わって。
広田:ああ、プロになれる、売れるなと。兵衛についていこうと思いましたね。和也は、この曲をきっかけに自衛隊を辞めた。それからTRIPLANEとしてスタートしました。
●ギターはどうしていたのですか? そして、川村さんは……?
江畑:僕が大学に受かってから、ギタリストを入れ本格的に始動しました。ラジオ局のイベントに呼ばれたり、お客さんも増えだした分岐点で、プロになるならこれじゃダメだから、次のギタリストを探そうということになったんです。ケイン(川村)のことはもともと知っていたのですが、人づてで“ケインが「TRIPLANEめっちゃカッコイイ!! 入りたい」って言ってたよ”と聞いて。誘ってみたら……。
武田:また人づてに“「ポップスじゃなくて、もっとロックをやりたいんだ。アイツらはまだまだぬるい」って言ってた”と、断られたんです。
広田:俺らロックじゃないし。確かにぬるいなって思って。
江畑:そこで、ほかのギタリストを入れ、エイベックスと契約しデビューも決まるという時に、そのギタリストが家業を継がなきゃいけなくなったんです。そのころからなぜか、ケインがよくライヴに来るようになって(笑)。スタジオで作業をしていると、ワインを持ってきたりして。これはもしや、入りたいってことなんじゃないか!? と勘ぐり誘ってみました。僕らは一緒にやりたいと思って最初に告白した、いわば初恋の人ですから。
●それで現在の4人となったのですね。
武田:ワインはやっぱり効きましたね~(笑)。
●TRIPLANEにとって重要な楽曲「白い花」。リリースを決めた理由は?
江畑:2008年は季節を感じるシングルの流れにしようと、夏に「夏が終われば」を出し、冬は? となった時、「白い花」が最も良いのではないかと決まりました。いよいよタイミングが来た感じです。
●どのように生まれた楽曲なのですか?
江畑:浪人生活4年目に、5年間付き合っていた彼女に振られました。初めて付き合った人だったし、失恋を経験したことがなかった僕は、ショックで。もんもんとした日々を過ごしていたんです。そんな中、模擬試験を受けに出かけ、普段は電車で通る道を歩いてみようという気分になりました。その時、ふと見た道端の葉っぱの上に、朝方ちょっと降って、まだ溶けずに残っていた雪が乗っていて……。それが白い花のように見えてすごく切なかった。それまで、何かを見て心が動くことはそんなになかったのに、“この気持ちを曲にしたい”という感情が溢れてきたんです。家に帰って、そのイメージを大切に作りました。
●美しいメロディばかりなTRIPLANEの曲作りはどのように?
江畑:原曲を僕が作って、みんなでアレンジをします。展開を決めたり、それぞれのやりたいことを吸い上げて、整理していく感じです。今は、サウンド・プロデュースに笹路正徳さんが入ってくれているので、笹路さんを軸に作業しています。伝えることを一番大切に……。 |