BEHIND THE SCENEVOL.2|2020.10.30 update

陶芸家岡晋吾氏 インタビューInterview withShingo Oka

2020年3月に発売されたコンプリートアートボックス『Ryuichi Sakamoto 2019』に引き続き、坂本の2020年の活動をまとめる『2020S』の制作・販売が決定した。それに伴い、長期に亘る制作期間に密着する今企画が始動。インタビューやレポートを通じて、完成までのヒストリーや今作に込められた各人の想いを紐解いてゆく。

記念すべき第一回目は、今作のプロダクトデザイナーである緒方慎一郎にインタビューを敢行し、坂本との繋がりやコンセプトやボックスデザインに込められた秘話を通じ、今作と日本文化との密接な関係について語ってもらった。そして第二回目となる今回は、緒方が「現代の陶芸家で最も優れた一人」と評する陶芸家・岡晋吾にインタビューを敢行。陶芸家という観点から見る『2020S』の魅力や、日本文化の在り方について問う。

緒方慎一郎が絶大な信頼を抱く陶芸家・岡晋吾

厳しい残暑が続く中、木々のゆらめきと轟く蝉の鳴き声を背景に、岡は窯元に併設されたテラス席で、終始朗らかな表情でリモートインタビューに応じた。岡は佐賀県・唐津にて天平窯を主宰する陶芸家で、染付や色絵、白瓷、唐津焼などさまざまな焼き物を作陶し、日本料理屋へ器提供や個展の開催を中心に活動している。形式に捉われない独創的な表現と温かみのある風合いを持つ岡の作品は、全国の人々から愛されており、全国各地のギャラリーやうつわ専門店でも取り扱われているほどだ。

「僕自身30歳くらいまでは陶芸家になりたいと思ったことはなかったんですよ。元々絵を描くことが好きだったのですが、ある日知り合いに焼き物屋を紹介されて“面白そうだな”と思ったのがきっかけで。21の頃に陶芸に触れてから有名な料理研究家の方に出会うなど色んな縁に恵まれて、気が付けばこうなっていました」

時に大胆に、時に繊細な表情を見せる陶芸品は、料理と合わさることでまるでひとつの絵を描くように、盛り付けられた一品をささやかに彩る。緒方も、岡の陶芸品に心底魅了された一人だ。2人の出会いは今から15、6年前に遡る。岡は、初めて見る緒方に対し「若いのかおじさんなのか、わからない人だなと思った」と語る。

「緒方が手掛けたギャラリーのこけら落としで会ったのが初めてですね。それからしばらくしてうちに来て、“岡さんと一緒に仕事がしたい”と言われてから、緒方がプロデュースする八雲茶寮で使用する器の制作に始まり、これまで色んなことをやってきましたよ」

互いに言い合うことはなくとも、意見やこだわりを存分に出し合いながらいくつも仕事を共にしてきたという。「緒方はわがままな少年のような人で出し惜しみをせず“これだ”というものを決めてくる人なんですよ」と話す岡の口調はとてもフランクで、明言はせずとも、二人の間に深い信頼関係が築かれていることがわかった。

日本・ニューヨーク間の旅を経て
完成される陶芸品

岡の元に『Ryuichi Sakamoto | Art Box Project 2020』の依頼が届いたのは、2020年6月末頃。突然唐津へやってきた緒方から、直々にプロジェクトの内容と陶器の制作依頼を伝えられたそうだ。

「緒方がいきなりうちへやってきてね、僕に向かって“やって”と一言だけ。緒方は近所に住んでいるのかってくらいよくうちに来るのですが、依頼される時もいつもこんな感じなんですよ。今回の話を聞いたときは、僕自身坂本さんと縁がなかったので意外だったというか。“何をやるの?”という気持ちでした」

当初の予定では、坂本が9月に来日し、唐津の窯元で坂本が素焼きされた陶器に絵付けをする予定だった。しかし、新型コロナウイルス感染拡大の影響によりやむを得ず来日は中止。陶器はニューヨークにある坂本の自宅へ輸送し、そこで絵付けと音の採取を行うことになった。インタビューを行った8月某日、天平窯ではまさに今、試作を含めた40枚もの陶器が900度の高熱で焼かれている。

「制作を開始したのは一週間前で、個展の準備をしながらその間にコツコツ進めてきました。8月末には素焼きを仕上げてほしいと要望を受けていたので、それまでに間に合うように制作しています。ニューヨークへ送るとなるとお皿が割れてしまう危険性が出てくるので、緒方と打ち合わせのもと、お皿の厚みを増したり立ち上がりは3cmと低めにするなど、圧力や負荷がかからないよう調整しました」

日々変動する状況に応じて作業工程などが変更されるのも、2020年という特殊な1年を表しているようである。これから素焼きされた陶器は日本とニューヨーク間の長旅を経たのち、さまざまな人の体温や記憶、土地の香りを携え、陶片となって購入者の元へ届く予定だ。

作陶の様子

欠けたパーツだからこそ、
“想像”と“繋がり”の幸せがある

素焼きされたお皿は、絵付けをしたのちに割られ、いくつもの断片となる。陶芸家としては、本来ならば時間をかけて焼き上げたものを仕上げ、欠けのない完成品を生み出すところだろう。緒方は前回のインタビューで「岡さんは陶器を割ることへ理解のある陶芸家だ」と答えていたが、一陶芸家として、陶芸品がこのような形で人々の手元へ届くことについてどう思うのだろうか。

「実は陶芸家も自分で作品を割っているんですよ。作ったもの全部が完成されたものではないので、自分にとって不完全なものは割って土に還しています。亡くなった人が生前使用していた茶碗を割るという風習が昔からあるように、陶器を割ることは特別なことではありません」

「割る時は気持ちがスカッとするくらい思い切り投げて、中途半端に割れたものは拾い直してまた割りますよ」と笑いながら岡は答えた。陶芸家としての“器”という概念からいえば、正しい形が完成品とするが、使い方や作品の目的によっては陶片という不完全な状態も完成品と化すのだ。岡自身も、一つの完成品を分断するという発想を用いた作品を過去に発表している。

「以前僕が八雲茶寮に提供したもので白梅を描いたお皿があるのですが、20枚のお皿を横に並べると一つの梅の絵になるんですよ。でもお皿を使う時はばらして使うので、花がついているお皿もあれば、ついていないお皿もある。これは1枚の作品を割ってばらしているようなもので、パーツになったお皿すべてに関連性があるわけです。そのパーツ一つひとつを色んな方々が所有するというのは面白いですよね」

欠けたパーツにも、さまざまなヒストリーが宿る。パーツを所有する者同士は、陶片が生まれた背景を読み取ることで、同じ時間と記憶を間接的に共有するという、目に見えない繋がりを持つことができるのだ。さらに、岡は受け手としての視点も併せ持っている。

「僕たち陶芸家は、昔の陶片を見ながらどんな材料が使われ、どんな焼き方をされたかなど、陶器の全体図を想像しながら勉強するんですよ。今回同封される陶片を持たれる方も、自分が持っている陶片がお皿のどこの部分なのか興味を持つと思うし、気になるでしょう?そこで全体の絵が想像できればもっと面白いと思います。だから手にした人はすごく幸せなんじゃないですかね」

“日本文化”という還る場所があるから、
変化や違いを受け入れることができる

『2020S』の中軸となるのが、“日本文化”である。今作に携わる人々の中でも、陶芸家である岡は日本文化に最も直接的な繋がりを持つ存在だ。新型コロナウイルス感染症をきっかけに世界の国々があらゆる問題に直面する2020年において、自国の文化を再び見つめ直すことが新しい時代に続く鍵となる。人々の意識や生活から変えていかなければならない今、「否定せず対面すること」が必要だと岡は考える。

「若い時は日本文化というものを意識してきましたが、これだけグローバル化すると色んな情報が入ってくるので、自分の表現に違ったニュアンスが入ってくるのはしょうがないことです。しかし、きゅうりのツタにぶどうはならない。ある程度技術がついた時には、自ら意識をしなくても、どこか日本の文化やにおいは表現に出てくるものです。僕たちには、還る場所はちゃんとあります」

日本文化や陶芸家という大きな幹のもと、グローバル化による多様な情報を得て生まれた作品は枝分かれし、葉が茂る。その後、再び根本に還り、また新しい情報のもと枝葉が広がる。岡はものづくりを行う一職人として、あらゆる多様性に向き合い続けてきた。

「ものづくりをしていると、それぞれ好きなものとは違うものに向き合わなければいけません。“全部は好きじゃなくても、この辺が好きだな”と思えるものが見つかるものを作る方が良いのだと思います。そのためには一面性ではなく多面的じゃないといけないし、多面的になるためには、自分のいいところばかりを見せちゃだめなんですよ。自分の好きなところ、嫌いなところ、いやらしいところ。そういうところも作品に反映させていかないと、理解してくれる人は少ないと思います」
ものづくりにおいて、理想を追い求めるがあまり固定概念に捉われているようでは、既存の範囲を右往左往するだけとなる。自身の無意識な一面や他者の感性に触れるなど、思考に及ぶ範囲外のものを受け入れ、化学反応が起きることで、かつて得たことのない新しい体験を生み出すことができるのだ。

「新しいものを発見しようと思うと、頭で考えてはいけない。頭の中では自分のやりたいことばかりを考えがちだけど、今回みたいに坂本さんと仕事をすることになれば、自分がやりたいことや考えるものと違うものが入ってくる。すると、また違う自分が発見できる。受け止めることってすごく大切で、それが新しいものを生み出すきっかけになるかもしれないですね」

工房の入り口

不完全な中にこそ、個性が浮かび上がる

今作には、一つの運命に導かれるようにして、坂本と似た観点や思想を持つ人々が集う。未だ対面したことがないという岡と坂本だが、多様なインスピレーションのもと、常識に捉われず作品を生み出し続けているという点においては、互いにジャンルの垣根を超え、同じ姿勢でものづくりに励む職人同士といえるだろう。

「坂本さんは、YMOの頃に比べてクラシックのようなニュアンスが入った音楽をされていて、イージーリスニングのような聴きやすい印象でした。オスティナートに繰り返される音楽の中で自分のイメージができて、自分のメロディを入れられてたりするところがすごく日本的で、個性が見えてくるなぁと」

岡の言う通り近年の坂本の音楽は意図した完成形を目指すのではなく、重なり合う偶然の中から生まれる一筋の光を手繰り寄せるように、その場で見えたものを音として紡いでゆく。非常にインタラクティブな手法だが、そこに岡は共感した。
「僕も初めこそデザイン案に沿った絵付けをしていたのですが、最近はあえてデザインを用意せず、はじめに一本線を引き、そこから浮かぶイメージをもとに線を足していく手法を取っています。“どんな絵を描こうか”というよりも“どんな絵になるのかな”と、こちら側も楽しみがあるんですよ」

共に自然が生み出す小さなニュアンスを汲み取ることに長け、偶然の産物から一筋の光を見出し、感性のあるがまま一つの答えを導き出す。それは必ずしも正しく成型されたものではなく、不完全な一面を持つ。しかし岡は、不完全な中にこそその人の個性や魅力が出るという。

「日本の文化って不完全なものが多いんですよね。完成されてしまうとつまらないものにななりますが、完成に至るまでのその人の癖が表れている時は、個性が出やすくすごく良いものになる。これは坂本さんの音楽を聴いていて共通する部分だなと思いますね」

共鳴する性が生み出す新たなものづくりの形

これから岡が制作した作品が音楽の一部となる。音楽と焼き物という、一見縁遠い世界が交わり、新たな文化の形が生まれる。

「陶器を割る音を採取するというのは聴いていますが、その音がどのような形になるのかは僕も知りません。陶器は色んな形のものや厚みの差によって色んな音が聴こえるのですが、今回は厚みも形も同じお皿なので、色んな音を拾うというのは難しいかもしれませんね。金槌などが陶器に触れた状態で割ると鈍く低い音になるので、高い音を鳴らすなら高い位置から石の上で割ると良いですよ。坂本さんがどう音楽になさっていくのか、とても楽しみにしています」

岡にとっても、陶器を割った音を採取することや割れた陶片を人々の元へ届けることは新しい体験となる。今作に携わる身として、自身が焼き上げたものがどのような作品となってゆくのか見守るとともに、購入者と同じ目線で今作の仕上がりに期待を寄せている。岡は、『2020S』の完成を以て、一陶芸家として、一受け取り手として、新しいものづくりの形に出会うことを心待ちにしているのだ。

文=宮谷行美