「関ジャム 完全燃SHOW」坂本龍一特集のために回答したアンケートを公開!

2023年2月12日に放送された「関ジャム 完全燃SHOW」坂本龍一特集のために本人が回答したアンケートを公開します。合計1万5000字にもなった回答から、番組でOAされたものを抜粋して掲載します。

Q:「関ジャム 完全燃SHOW」はご覧になった事はありますか?また、番組の印象はいかがでしょうか?
ありません。
ずっとアメリカに住んでいますし。
だけど、評判は聞いたことがあります。
今回も番組で扱っていただけるということで関係者が番組のことを熱く語ってくれました。
それから関ジャニ∞は知っています。
この何年か、治療で入退院を繰り返していてすっかり世間にうとくなってしまって・・・あまり世間で起こっていることはフォローしていないのです。
ごめんなさい。

▼作品作りをする上で最新の機材、技術に関する質問

Q:時代時代のテクノロジーと向き合ってきた印象がある坂本さんは、人工知能と人間の対峙について、音楽家の立場で、何を思い・考えていますか。(江ア文武さんより)
人工知能は基本的には過去のデータの集積と、それに加えて「ゼロ・イチ」の、つまり「正解・不正解」という論理でできていると思うのですが(間違っているかもしれません、あまり興味がないので良く知らないのです・・・)、音楽には「正解・不正解」はありませんよね。まあ、学校では教科書などに従い、まるで「正解ありき」という前提で習いますけど・・・。それに従う必要はなくて、根本的に音楽は「正解・不正解」というのは全くない世界だと思っています。しかし、それなら何でもいいかというとそうではなく、その中で「これがいい」という、ある1人の音楽家/ミュージシャンが自分の中で正解と思うものを導き出してゆく、そういうものだと思います。僕はそこに論理はないと思います。とはいえ、脳が決めるものなので、究極的にはAIでもできるようになるのかもしれない。でも、何のためにそうするのか、あるいは、何に美を感じるかというのは、同じ構造の脳を持つ人間でも一人一人違いますから、AIがその領域に近づくのは当分は不可能だと僕は思っています。
そんなことにAIを使うより、気候変動をどうするかとか、貧困や格差をどうするか、そういうことにAIを使って欲しい。そこには求められる正解があり得るわけですから、AIの得意な領域ではないかと思います。

▼「美貌の青空」に関する質問

Q:アルバム「1996」や「THREE」ではクラシックのピアノトリオという形になさいましたが、ピアノ、ヴァイオリン、チェロという形に行きついた経緯はありますか?(清塚信也さんより)
自分の音楽をシンセや打ち込みなどを使わずに表したいと思った時に、自分ができるのはピアノを弾くことだった。ただ、ピアノは音がどんどん減衰してしまうので、それでは足りないものがあるわけです。そこで、音が減衰しない弦楽器、もともと弦楽器が好きということもありますから、使おうと考えました。チェロとバイオリンがあればほとんどの必要な音域をカバーすることができる。ですから、もっともミニマムな編成を考えたらこのピアノトリオになったんです。それに、子供の頃からピアノトリオが好きでしたし。また、ピアノを弾く人間にとって、音が減衰しない楽器、ギターや弦楽器に憧れがあります。「いいなぁ〜」と。
自分の音楽の中でも、減衰しない弦楽器などで演奏された方が良い曲などがたくさんありますから、それらの楽器が必要だということもありました。

▼「戦場のメリー・クリスマス(Merry Christmas, Mr. Lawrence)」に関する質問

Q:西洋人的でも東洋人的でもない曲を生み出すことについて、海外(ニューヨーク)から日本を見つめることは、自身のクリエイティブにどのような影響を与えましたか?(江崎文武さんより)
ちょっと多すぎて語るのがむずかしいけれど・・・
まずは人ですね。NYは今はちょっと金融の街のようになってしまったけれど、むかしはクリエイターの街だったんですよね。しかも世界中のクリエイターが来ていた。NYで知り合ったといっても、ブラジル人だったり、イタリア人だったり、フランス人だったり、ドイツ人だったり、韓国人だったり、中国人だったり、アフリカ各地からの人々だったり・・・世界中のミュージシャンと出会えて、一緒にモノを作ったりできるということが一番大きいんじゃないかなぁ。また、レジェンダリーな人たちのギグ(Live)が同時にあちこちで行われているので、とてもじゃないけど、全部をフォローするのは無理だし、まして、音楽だけではなく、アート、演劇、パフォーマンス、映画などあらゆるジャンルでそういうことが起こっているので、音楽以外のジャンルから刺激を得ることは多くあります。また、ひと口にアメリカ人と言っても、移民の国ですから、それぞれバックグラウンドが違っていて・・・イタリア系だったり、アイルランド系だったり、ドイツ系だったりするので・・・そのような多様なバックグラウンドに接することが楽しいし刺激を受けますし、自分の知見が広がります。
西洋的でも東洋的でもない曲を生み出すことについてはNYあるいは海外に居住しているかどうかはあまり関係ありません。「戦場のメリークリスマス」制作の当時は日本に住んでいましたしね。あの音楽(サントラ)はそういうものにしようと、自分で設定して生み出したものです。
何人でもないコスモポリタンでありたいというのは10代のころからずっと思っていたことです。地球のどこでも暮らしていける人間になりたいとずっと思っていました。

▼「async」の作品作りに関する質問

Q:近年、環境音や自然音などを作品に取り入れていますが、この世の中に「よくない音」と「いい音」という区別はありますか?(清塚信也さんより)
あります。
ものすごくあります。
自分で音楽を作っていて言うのは変なんですが、人間が作った音というのはあまり良くないものが多いですね。自然が作った音にそういうもの(よくない音)はあまりないです。
一番良くない音は、新幹線で毎回毎回出てくるチャイムみたいなお知らせ音とか、日本中の商店街や街で毎日決まった時間にひどく音の悪いスピーカーから大音量で鳴るチャイムのような音があるでしょう?あれは最低ですね。あれを日本中の人が毎日聴いているかと思うと悲しいです。
昔アフリカ(サバンナ)にいった時に、アフリカ(ケニア・マサイマラ)ってうるさいところだと思っていたのですけど、行ってみたらとても静かで・・・。遠くで水浴びしているカバの音が聞こえたり・・・。自然の音の中で一番大きかった音はカブトムシみたいな甲虫が自分めがけて飛んできたときの音。あまりにも大きくてびっくりしたのはその音でした。その静かな空間に突然バリバリバリバリという音が入ってくる。セスナだったり四駆のような車だったり。それは人間が作ったものの音でした。あきれました。とはいえ、もちろん自分もセスナや車に乗ってそこに行っているわけだけど、文句をいっちゃいけないわけじゃない。もっと、デザインや技術など、人の叡智で自然の静けさを壊さない音の物を作ることができるはずですけれど、エンジニアや設計者は自然の音との対比を考えていないと思う。それは悲しい気づきでしたね。

▼映画音楽に関する質問

Q:オリジナルの音楽と、映画音楽を作る時の心境の変化や、作り方の違いはありますか?(ちゃんMARIさんより)
自分の音楽は自分のため、というか自分が作りたいものを作っているだけです。
映画は完全に人のためです。監督のためであり、製作者のためであり、聴衆のためであり、映画会社のためです。ですから、全くスタンスは違います。とはいえ、一度作り始めると、音楽家としての自我が出てきてしまうので、結果的に作ったものが自分自身のための音楽と似たようなものができてしまうことはあります。それが監督が必要としているものと合わないということはよくあります。どんなに仲の良い人間でも2人いれば意見がドンピシャに合うということはありません。コラボレーションなどの場合でもそうです。ましてや映画音楽の場合、雇われている身ですから、監督や映画会社の意向に従うしかない。それがいやなら降りるしかないのです。ですからこれまでに何度も何度も嫌な思いはしています。とは言え、作った音楽は、オリジナルの場合も映画のためのものの場合も、どちらも自分の音楽ではあります。

▼音楽性に関する質問

Q:坂本さんの音楽は、どんなジャンルであろうと「ポップさ」を含んでいると思いますが、それは意識的なものでしょうか?それとも、そもそもご自身の音楽性がそうなのでしょうか?(清塚信也さんより)
自分ではわかりません。
「ポップであること」はものすごく難しくて。
どうすれば「ポップ」なのか?って。例えば、ビルボードのチャートを何十年と振り返ってみても、「えっこれが?」というものがはやったりすることがある。セオリーや形式で「100%のポップス」として作ったからといって売れるとは限らないし、それまでのポップスの定義にはずれるものがパーンとヒットしたりすることはありますよね。僕も90年代は「ポップ」であろうと目指してみたことがあって、いろいろやったんですが、成果は全くなかったですね。「ポップ」であろうとした作品も、そんなことは全く考えずに作ったものとビジネス的にも全く変わらなかった。無意味でした。
自分のキャリアの中で最高に売れたエナジー・フローという曲がありますけど、ポップであろうなんて1ミリも考えたことがなかったのに、売れちゃってびっくりしました。
ポップを定義することは本当に難しいことです。
ただ、自分の作品の中で一つのヒントになるのは「Behind the Mask」かと思っています。
あれも、元々はポップなことなど1ミリも考えずに作った自分の曲で、YMOで取り上げたわけですが、それをマイケル・ジャクソンがカバーしたり(事情があってスリラーには入りませんでしたけれど)、その後はエリック・クラプトンがカバーしたり。
あの曲には、フレーズとコードが合わさった4小節の繰り返しの中で、人をグルーブさせるもの、ロックさせるもの(揺さぶるもの)が何がしかあるんだろうと思うんです。それでいろんな人に取り上げられるのだと思う。そこに何かヒントがあるのかなと思います。それはもちろん西洋人の感性に受けるということですけれど。一方の「エナジー・フロー」はアジア人には受けがいいのですが、西洋人にはたいして受けないですね。
Q:いわゆる「売れる」ということについて、音楽家は意識するべきとお考えでしょうか?「流行を探すべきか?」それとも「本質を捉えるべきか?」(清塚信也さんより)
それはもうその人次第です。
売れるためにやっている人もいるかもしれませんし・・・僕はそう思って始めたのではない。それこそ、「千のナイフ」というソロアルバム(デビュー作)が出来た時、毎晩のように行っていたカフェバーに、できたばかりのアルバムを持っていってかけてもらったんですが、店の店員から「これじゃモテないっすよ」って言われて、ものすごくビックリしました。音楽を作る時にそんなことは全く考えたことはなかったので(もちろん、音楽以外の日常ではいつも「モテたい」と思ってましたけど・・・)、その店員の言葉に驚愕しました。彼はその後プロのミュージシャンになったので、そういう気持ちで音楽をやっていたのかもしれませんね。
また、知り合いのアーティストで、徹底的にマーケティングして、社会の風潮やマーケットの動向をしらべ、そういうものを取り込んで音楽を作っている人もいる。でも僕にはできません。そして、どちらが良い悪いということもありません。そうしたければすればいい。それで結果的に良い音楽ができるかもしれませんしね。昔のバッハやモーツアルトだって聞く人の評判を気にして作っていたわけです(そうではない曲もありますが)、全然受けなければ職がなくなってしまうので、昔の人も聴衆のことを考えて作っていたわけですね。でも、僕はそれだけではダメだと思います。ですから、自分が作りたい音楽があるのなら、どう聞かれるかなどは考えずに作ればいいと思います。他方、映画音楽などは、聴衆を考えたり、雇い主のことを考えて作った方がいいでしょうね。まあ、僕はあまり考えずに作ってしまう傾向があるんですけれど・・・(苦笑

▼次世代アーティストに関する質問

Q:日本のポップスのミュージシャンに、もっとこうなって欲しいという希望はありますか?(江ア文武さんより)
日本のマーケットだけを考えているような感じがするんですが、それはダメだと思います。もっと広い聴衆をイメージし世界というマーケットでやっていかないと。そう考えると、当然、作る物も歌詞なんかも少しずつ変わっていくんじゃないかな。そしてそのためにはオリジナリティーが重要であることも付け加えたいと思います。
「世界マーケット」というものを考えて活動してほしいです。
近年では、韓国やアジア圏のミュージシャンやアーティストは最初から世界をマーケットにして外に開いているなぁと思うことが多々あります。世界を知ることがとても大切です。

▼ご自身の音楽活動に関する質問

Q:活動から45年余りが経ちますが、充実を感じていた時、逆に苦しかった出来事はありますか?(番組より)
【充実していた時代】
何を充実と思うかにもよりますが・・・
たくさん活動した、あるいは曲をたくさん書いたという意味では、やはり20代後半から30代が活動量が多かったかなと思います。40歳の頃にNYに移住したので、以後は日本に居たころのペースからは開放され、少しリラックスしていたように思います。しかし、それはクリエイティブに充実していたかどうか、というと疑問です。それはまた別な問題かと思います。
【苦しかった時代】
記憶にないです。
作業的に苦しいというのはありますけれど、
自分から何も出てこないということで苦しくて悶々とするというのは、あまり記憶にないです。僕の場合、アルバムリリースの期限などが他者によって設定されているわけでもないので、できたら出すという感じで、できなければ放っておけばいいのですし、まあ、そんなように「いいご身分」だったので・・・。できないのに無理やり何かを引っ張り出してもいいものはできないので、そういう意味で苦しかったことはありません。
作業的に苦しいのは映画音楽をやっている時です。
それは苦しいです。
そういえば、映画「The Revenant:蘇えりし者」の制作の時に1度ありました。これは人生で初めての挫折感を味わいました。最初のガンになって、治りかけのころに作業がはじまって、体力もなく、頭も治療の影響でボケていたと思うんですが、自分ならこれができるということがなかなかできなくて。どんどん作業が遅れていって、やらなくてはいけないことが溜まっていって、手に負えなくなってしまった。これは初めての、とても苦しく辛い経験でした。強い挫折を感じました。自分の実力を100%発揮し、全てを1人でやりきりたかった。いまもくやしいです。それはくやしい、苦しい体験でした。
Q:曲が思い浮かぶ瞬間はどんな時ですか?(番組より)
先にお答えしたとおり、決まった法則はないのでわからないです。
何かのきっかけで湧いてくるまで待つだけです。待つというのは、積極的に待つわけです。
さまざまなことに関心を持って、勉強しながら待つという感じです。
何かいいことを思いついたらすぐに録音するとか、五線紙に書くなどしておかないとすぐに忘れてしまいます。ですから、なるべくなら、なんとなく鍵盤に触れる場合でも、録音したり、MIDIで記録したり、紙に書いておいたりしたほうがいいですね。なぜなら、思いつきはいつやってくるのかわからないからです。例えば寝ていても思いつくこともあります。そんな時は仕方がないので自分を起こして、最近ならスマホに録音したり、紙に書いたり。昔は運転中に思いついて、自宅の留守電に録音したりしたこともあります。とにかくいつ、何時「くる」かわかりませんので、それを逃さないようにはしています。
Q:気分転換によくすることはありますか?(清塚信也さんより)
気分転換は、いろいろです。
おせんべいを食べたり。
かりんとうやチョコレートを食べたり。
雨が降っていたら雨の音を聞いたり。
雲の流れを見たり。
庭の木を眺めたり。
音楽以外のことです。
なまじ人の音楽などが耳に入ってしまうと影響されてしまうので、「音楽」を気分転換に使うことはありません。希に音楽を気分転換に使う場合は、全く音が変化しない「び〜〜〜〜〜〜ん」というような、同じ音がずっと鳴っているような、音楽とも言えないような音を聴くとか。まあ、それは一種の瞑想のようなものですけど。
とはいえ、やはり自然の音の方がいいですね。その方が気分転換になる。
Q:坂本さんはピアノの技術も、かなりおありになると思いますが、作曲家よりピアニストとして活動をするというお考えは無かったでしょうか?(清塚信也さんより)
生まれてから一度もないです。
自分のことをピアニストだと思ったこともないし、ピアニストになろうと思ったこともありません。ピアノの技術は、大学受験をした18歳のころがピークで、当時はリストなどもバリバリに弾けましたが、初見で弾けないものは弾かないという主義でした。その後は練習をしないので演奏技術はどんどん落ちて、最近はもう加齢も加わって、運動能力もとても落ちています。人様にお聴かせするギリギリという感じです。たまに何かの必要があり、昔の自分の演奏を聴いたりすると、すごく大きい音でキラッキラに弾いているし、指も動いているな〜と自分でもビックリはしますが、それでもピアニストだと思ったことはないです。
ピアニストは人の曲を弾きますよね、しかも大昔に作られたものなども。僕にとってそれはつまらないことです。僕は、ただ自分の音楽を表す一番やりやすい方法としてピアノを弾いているだけです。人によってはギターだったり、歌うことが一番表現しやすいという人もいるでしょう。僕の場合はたまたまピアノだったというだけです。

▼アルバム『12』に関する質問

Q:今回のアルバムは日記を書くような感じで制作されたという事ですが、このアルバムに込めた思いは何でしょうか?
思いは込めていないです。
1曲、1曲には何か、その時の感情や何かが入っていると思うのですが、前作の「async」よりもさらに今作はもっと、ほぼ100%自分のためというか…。病気で入退院を繰り返している合間に作っていた曲なのですが、本当に体力が落ちているときは音楽を聞くこともできない状態だったのだけど、少し体力が回復した時に、何か音を浴びたいという気持ちになり、近くにあったシンセに手をふれました。何も考えず、シンセの音に浸るというか、自分を回復させるために、まるで森林浴のように。そこから始まっているので、「思い」というのではなく、その時の心と身体の状態がそのまま出ている、そういうものだと思います。
元々、あまり思いを込めて音楽を作ったことはないんです。
もちろん、たまにはあります。
地雷撤去のために作った曲、ウクライナのために作った曲、福島のために作った曲、911以降のテロのことを思って作った曲など、特別なものもありますが、そうではない曲は多いです。
たとえば、一般の方が日記を書く時に、今日何をした、誰と会った、何時に寝た、何を食べたという記録を残しますね。もちろん、人によっては、あるいは同じ人でも、ある日、強い衝撃があれば、その思いを書き残こそうということがあるかもしれませんが、日記というのはいわゆる「日々の記録」だと思います。
そのような感じで、僕の場合は音で日記を書いているだけなんです。
音による日々の記録。だから、思いというのは「音」なんです。
その裏側に、文字にできる「誰かへの愛など」があるわけではなく、みなさんが文字で日記を書くように、僕の場合は音で日記を書いたというだけなんです。そのことはなかなか理解されにくいのかもしれませんが。