広島平和記念公園「原爆の子の像」のモデルとなった実在の少女の思い…。
★「INORI」story
佐々木禎子という少女を知っていますか?
広島平和記念公園
原爆投下の直下となったこの地に建つ少女像を見たことがない日本人はほとんどいないだろう。その像の名は「原爆の子の像」しかし、なぜこの像が折り鶴を掲げているのか? 平和の祈りと折り鶴がどう関係するのか? そして、この像のモデルとなった12歳の少女の物語を知っている人がどれだけいるだろうか?
その少女の名は 佐々木禎子(ささき・さだこ 1943年1月7日〜1955年10月25日)原爆投下時に2歳で被爆。白血病により、たった12歳でこの世を去った少女。不治の病に冒された少女が、病床で回復を願い、苦い薬の包みで折り続けた折り鶴が平和の祈りと結び付き、原爆の子の像が建立されたということを知っている人は果たしてどれだけいるだろうか?
原爆公園には日々、全国各地から折り鶴が送られてくる。が、折り鶴を送ってきた人でさえ、4割もの人が折り鶴と禎子の物語を知らないと言う。そんな失われつつある記憶を次の世代に伝えたい。佐々木禎子の甥、佐々木祐滋のそんな思いから生まれたのがこの「INORI」という楽曲だ。
シンガー・ソングライターでもある佐々木祐滋は自ら日本各地の学校や平和イベントへ赴き、この楽曲を歌い続けた。そして、その曲がクミコの耳にとまることになる。この思いをもっと多くの人に知ってもらいたい、この曲を託すのにふさわしい歌い手はいないだろうか、と模索していた佐々木祐滋。そして、この曲は自分が歌い継いでいくべきではないか、と確信したクミコ。
ふたりは出会い、そして、クミコの「INORI」が誕生した。