第2回|「12」をつくるときの
マネージャーの頭の中

坂本龍一と音楽

2021年1月14日に20時間を超える手術を終え、本人も想像しなかった数々の感染症にどうにか耐えて退院したのは2021年3月初旬だった。
パンデミックもあり、しばらくはNYに戻れそうもなかった。
急ぎ借りた家具付きアパートの小さな一室に最低限の機材を持ち込み、セットアップして帰りを待つ。病院から戻ってからも、「筋肉の衰えを防ぐためにできるだけ座ってください」との医師の言葉に従いソファで虚に座っているのがやっとだった。それでもトイレに立ち楽器部屋を横切ると、その部屋に置かれたプロフェットに目を向ける。坂本が愛するムジーク(スピーカー)も鎮座している。雨の日は「あ〜雨だ、いい音だ」とよろこび、時折聴こえるカラスの鳴き声さえ愛でる。ある日から楽器部屋に足を踏み入れるようになる。「シンセにさわりたかった」そうだ。楽器部屋から出てソファに座るとぐったりしている。また翌日も午後には楽器部屋にいく。楽器部屋にいる時は背筋を伸ばしうれしそうな顔をしている。その後も少し元気になったかと思うとまた問題が起きては病院への逆戻りが繰り返された。「3歩すすんで2歩さがる」、いや「2歩すすんで3歩さがった」こともあった。

それにしても、たまたま90年代にがん保険に加入していて本当によかった(苦笑
ミュージシャンのほとんどはフリーランスで、病気になると生活に困窮する人も多い。アメリカのミュージシャンズ・ユニオンはそんな音楽家達を守る仕組みを提供してくれていることに学び、自衛のためいくつかの医療保険に無理やり加入してもらったのは正しかったなぁ。

閑話休題

急ごしらえの家具付きのアパートにピアノを持ち込むことはできないと言われていたので、何度目かの手術の後に別なアパートに移り小さな中古のアップライトピアノを入れる。楽器部屋が少しアップグレードした。この中古のスタインウェイからいくつかの曲が生まれた。ピアノ曲は、曲想が浮かぶとサッと弾き、そこから推敲を重ねる。昔はそうやって「サッと弾いたもの」で良しとすることが多かったけれど、ここ10年ほどは何度も音と響きを確かめ少しずつ曲を作っている印象だ。まるで彫刻するように。

先日もまた身体に問題が起き緊急の手術を受けることになった。麻酔から覚醒した坂本は痩せた胸に手を置き指を動かしている。すでに作った曲なのか、新たなメロディーを思いついたのか。
「この人はこうして力尽きるまで音楽のことを考えるんだろうなぁ」と思う。
坂本龍一に音楽があってよかった。

アルバム『12』はこのようにしてできた作品で、果たして世に出すべきか、わずかに躊躇があったけれど、坂本の日々の声を聴いてもらってもよいのかもしれないと思った。

李禹煥先生のお力もいただき美しいアルバムになった。